東御市内にある唄

~ハートつないで~ToMi.to me

市では「全市的な市民の交流・融和のための祭り」の具体案を検討するために、平成 16年11月に東御市長から委嘱された委員で構成する「東御市の夏祭りを検討する委員会」が設置されました。
「東御市民祭り歌と踊り制作委員会」(委員20名)新しい踊りの検討をするみなさんは、合併による市の一体感の醸成を図るために、平成17年度から「雷電まつり」・「みまきドカンコ」ではない新しい夏祭りを開催するが、平成29年度からは再度「雷電祭りドスコイ」という名称に替わりました。
この作詞作曲の小坂明子さんは、16歳の高校生の時に作詞作曲した「あなた」、1973年に開催された第6回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストと、第4回世界歌謡祭で、ともにグランプリを受賞されて、180万枚をこえる大ヒットとなった。
その後、ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」など、かかわった作品は2000曲を数え、「みんなの音楽家」として歌を教える場所で活躍されております。

                        作詞/作曲/編曲 小坂 明子
                             歌/   縣 ひろ子
  TOMI TOMI
 キミの呼ぶ声が TOMI,to me!
 TOMI TOMI
 ソイヤソイヤ 聞こえる TOMI,to me!
 オラホラホラ オラホラホラ TOMI

 サラサラ 流れる 乾いた風
  明るい町並み 駆け抜けてゆくよ
 出会ったばかりの 笑顔もまた
 キラリ 光ってく 緑の中で

 さあ リズムに合わせて ハートつないで
 キュンと手をにぎろう
 ねぇ 心はウキウキ オレンジ色に
 染まっていくね

  TOMI TOMI
 キミの呼ぶ声が TOMI,to me!
 TOMI TOMI
 ソイヤソイヤ 聞こえる TOMI,to me!
 オラホラホラ オラホラホラ TOMI

 ユラユラ 木もれ日 鳥の声に
  やさしいせせらぎ ひとつにとけるよ
 小さな思い出 明日に届け
 山を越えもっと 未来に届け

 さぁ みんなもおいでよ ハートそろえて
 ポンと肩合わそう
 ねぇ 心はウキウキ 青空の中
 はずんでいるね

  TOMI TOMI
 キミの呼ぶ声が TOMI,to me!
  TOMI TOMI
 ソイヤソイヤ 聞こえる TOMI,to me!
 オラホラホラ オラホラホラ TOMI

  TOMI TOMI
 キミの呼ぶ声が TOMI,to me!
  TOMI TOMI
 もひとつおまけに TOMI,to me!

 オラホラホラ オラホラホラ TOMI

街に出ようキュリー

 奈良たんぽぽの会では、ハンディを持つ人が書いた詩をメロディーにのせて発表する「全国わたぼうし音楽祭」の参加作品を全国から応募していた。
 8月に行われた第16回の大会には、385曲の中から選出された10曲がエントリーされ、さらに大賞には東御市在住の広沢里枝子さん作詞、佐久市在住の土屋竜一さん作曲による「街に出ようキュリー」が選ばれた。
 この曲は視覚に障害のある広沢さんが、盲導犬キュリーに対する思いを書いたもの。
                       (平成3年9月12日発行の信州民報より)
                           作詞  広沢里枝子
                           作曲  土屋 竜一
 一、街に出ようキュリー
    そよ風のように
     あの子がくれた
      タンポポの花
       ハーネスに飾って
    だまって通り過ぎる人
     あなたは誰?
      足音が聞こえたら 
       私から言える
    こんにちは (こんにちは)
    ご機嫌いかが (ご機嫌いかが)
    一緒に行きましょう そこまで
    *(私とあなたの生きる街 私とあなたのつくる街)

 二. 街に出ようキュリー
     そよ風のように
      みどりの香り
       ポケットに歌
        ハーネスもはずんで
     遠くで見つめてる人
      あなたは誰?
       手のぬくみ感じたら
        心から言える
     ありがとう (ありがとう)
     会えてよかった (会えてよかった)
     一緒に行きましょう ここから
     *くりかえし
     *くりかえし

相 撲 甚 句

                        原作 武 舍 秀 雄
                        補作 呼出し 永 男
                        唄  呼出し 三 郎
 
 ʅ 東部名所を 甚句に とけば ヨー

   アー 北国街道 その中で 千曲の流れに たたづみし

  歴史とみどりと 花の里 古くは 中曽根古墳より

   名匠山浦 刀鍛冶 一番十番 百番と

  湯の道訪ねる 観世音 夏には 金井の 火の祭り

   祢津を見守る 榧の木に 廻り舞台が西東

  お姫さまならぬ あの石よ 春原屋敷を 望みつつ

   学べ和の 記念館 義仲ゆかりは 白鳥で

  行きつもどりつ 海野宿 くるみに 巨峰 そばの味

   冬には湯の丸 スキー場 あまた 数ある その中で

  東部が 生んだる 大力士 天下無双と うたわれた

   相撲は雷電 ヨーホホイ アー 為右衛門 ヨー

 佐久市瀬戸で「ちゃんこ大鷲」を経営している伊東平(☏0267-63-0118)さんと、大相撲の関係で親しくなり、雷電まつりにお相撲さんを呼んできたいので、どの部屋の力士がいいですか聞くと「二倍二倍」と今テレビで有名な東関部屋はどうだろうか(他の部屋は後援会をつくる場合負担金が高い)とのことで、東関部屋へ一緒に随行していただきました。
 東部町商工会役員会で了承されて、昭和63年8月6日の第12回雷電まつりに東関部屋一行(元大関高見山・武蔵丸・高見昇・飛龍岳)が来町され大変な人気でありました。
 その後平成元年10月21日には東関部屋後援会設立総会を開催、翌年10月20日には東部町体育館でお客様3,000余人、力士350人を迎え大相撲雷電場所が開催されました。
 そんな折、雷電甚句をつくりたいということで出来上がりました。

田 中 小 唄

                      山 浦 一星(滋野) 作詞
                      野 口 雨 情   補作
                      藤 井 清 水   作曲
                      中 山 晋 平   編曲
                      若 柳 吉 藤   振付
 一、田中大橋 流しちゃならぬ [ハイショ]
    流しゃ恋路が 遠くなる
     ヤンソレ エッサヤッサ 遠くなる
     流しゃ恋路が ホホイ 遠くなる ヨホンヤセ

 二、皆な往きませう 鹿沢のスキー [ハイショ]
    滑りつかれば 湯で治す
     ヤンソレ エッサヤッサ 湯で治す
     滑りつかれば ホホイ 湯で治す ヨホンヤセ

 三、わたしや戸山の ちらちら小雪 [ハイショ]
    積りや添寝も 松とする
     ヤンソレ エッサヤッサ 松とする
     積りや添寝も ホホイ 松とする ヨホンヤセ

 四、祢津で撞くのは 大日さまの [ハイショ]
    恋し恋しの 暮れの鐘
     ヤンソレ エッサヤッサ 暮れの鐘
     恋し恋しの ホホイ 暮れの鐘 ヨホンヤセ

 五、お相撲さんなら 田中の町の [ハイショ]
    石の仁王さん 抱いて見な
     ヤンソレ エッサヤッサ 抱いて見な
     石の仁王さん ホホイ 抱いて見な ヨホンヤセ
 
 六、空の鳥さへ 摺臼の宮の [ハイショ]
    杜を忘れず 来てとまる
     ヤンソレ エッサヤッサ 来てとまる
     杜を忘れず ホホイ 来てとまる ヨホンヤセ

 七、松の陰から お寺が見える [ハイショ]
    あれは田中の 法善寺
     ヤンソレ エッサヤッサ 法善寺
     あれは田中の ホホイ 法善寺 ヨホンヤセ
 
 八、春の黒姫 月さへおぼろ [ハイショ]
    袖の桜の 花吹雪
     ヤンソレ エッサヤッサ 花吹雪
     袖の桜の ホホイ 花吹雪 ヨホンヤセ

 九、赤いぼんぼり 成田の祭り [ハイショ]
    月の二七が 待ち遠い
     ヤンソレ エッサヤッサ 待ち遠い 
     月の二七が ホホイ 待ち遠い ヨホンヤセ

 十、晴れた奈良原 田中が一目 [ハイショ]
    富士も見えます 遠空に
     ヤンソレ エッサヤッサ 遠空に
     富士も見えます ホホイ 遠空に ヨホンヤセ

 選外、開く扇も 末広がりて [ハイショ]
     田中繁昌の 風が吹く      
      ヤンソレ エッサヤッサ 風が吹く
      田中繁昌の ホホイ 風が吹く ヨホンヤセ

 選外、富士見館なら 行きがけ来がけ [ハイショ]
     寄らず通れば 気がすまぬ      
      ヤンソレ エッサヤッサ 気がすまぬ
      寄らず通れば ホホイ 気がすまぬ ヨホンヤセ 

 田中小唄は、昭和8年に出来ました。野口雨情・中山晋平の、これだけの 顔ぶれですので、制作費用は今なら1,000万円はくだらないでしょう。
 当時、小唄勝太郎の「島の娘」が流行し、日本ビクター専属の市丸(松本し出身)は中山晋平作曲の「天龍下れば」で爆発的な人気を呼んだ年でした。
 田中小唄は丸子方面と荷車等で結ぶ「田中大橋」、雷電ゆかりの「石の仁王」、島木赤彦の泊まった「法善寺」、千葉まで行かずにお参りのできる「成田山」、百体観音の「大日堂」等が歌われております。

和 村 民 歌

                        作詞 長尾 秀 次
                        作曲 田畑 みさよ
 一、緑濃き烏帽子のふもと
    生い茂る クルミの里に
    たくましき 力協(あわ)せて
    人の和を ここに結べり
    和 和 我等の和

 二、ゆるやかな坂の遠近(おちこち)
    牛なきて 希望も新
    盛り上がる 土の息吹きに
    村の幸 ここに実れり
    和 和 我等の和

 三、裾野引く 信濃の東
    教育を 高くたたえて
    金原の 清き流れに
    村郷は 文化うるおう
    和 和 我等の和

 昭和29年、村民の意気高揚を図るため、歌詞を村内から募集して、当選したものが、当時の和小学校の校長先生で、作曲者は、当時「やまびこ合唱団」を結成して指導されていた田畑みさよ(現在は白石姓)氏で、執筆者の小学校一年生の時、音楽授業の担任でした。

県 別 天 地 音 頭

                        作詩 小 沢 千 月
                        作曲 荻 原  富
 一、ここは東部の 県の里よ
      大樹茂れる 諏訪神社
     村の固の 鎮守さま
      厚き伝統の 道祖神
       一度はおいでよ 別天地 アー 別天地

 二、ここは東部の 県の里よ
      リンゴ娘の あどけなさ
     アスパラカスの 味の良さ
      巨峰しずくの 豊かさよ
       一度はおいでよ 別天地 アー 別天地

 三、ここは東部の 県の里よ
      清き清水の 湧き出ずる
     弁天さまの 御膳水
      高き学府の 健男子
       一度はおいでよ 別天地 アー 別天地

 四、ここは東部の 県の里よ
      浅間烏帽子を 仰ぐ里
     子供祇園の おみこしや
      可愛いい 幼児の樽みこし
       一度はおいでよ 別天地 アー 別天地

 五、ここは東部の 県の里よ
      嘆の恵み 地の恵み
     体力づくりと 家づくり
      県区民の たくましさ
       一度はおいでよ 別天地 アー 別天地

 六、ここは東部の 県の里よ
      詩情溢るる 千曲川
     流れは遙かく 日本一
      並ぶ笑顔も 日本一
       一度はおいでよ 別天地 アー 別天地

海 野 小 唄

                      作詞 滝 沢 清 相(きよみ)
 
 一、海野よいとこ 蚕種(こだね)の本場
     娘やりたや 桑摘みに
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 二、雪で浄めた 白鳥様の
     森に平和な 日が昇る
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 三、海野格子が 軒並みつづく
     二階出窓と うだつまで       
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 四、街の真中に 小川が清い
     かかる石橋 六十四
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 五、海野平の物語(はなし)を 知るや
     千曲川原に 河鹿鳴く
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 六、霞がくれに ほのぼの見える
     法の花咲く 興善寺
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 七、月に三度の 赤石山に
     連れて 行かんせ 孫つれて
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 八、海野小太郎の 碑の花苔に
     里の昔が 偲ばれる
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 九、海野宿場は 箒(ほうき)がいらぬ
     笹屋およしが 裾で掃く
       ヨイヨイヨイとこ  海野村
 十、海野田中と 栄えし宿場
     味噌玉はやしも なつかしや
       ヨイヨイヨイとこ  海野村

海 野 宿  の 詩

                   矢島 與四吉  作  詞
                   諏訪 ひろみ  補 作詞
                   Masaki Akashio 作曲編曲 

  あゝ 訪ね来て ここは信州北国街道
  あゝ 永久(とこしえ)に 皆のふるさと 海野宿

  旅籠で栄えた 海野宿
  時が流れて 蚕養(こがい)の業(わざ)に
  家(や)ごとに昇る 煙すじ
  南を流 千曲川
  あゝ 来る人の 旅の心をなごませる
  あゝ 住む人の 皆のふるさと 海野宿

  淡い光の 街灯が
  なぜか昔を 偲ばせる
  明りに映える 小川水
  しだれ柳 紅桜
  あゝ 古(いにしえ)より 今も目にする卯建(うだつ)の姿
  あゝ おとずれて 尋ね聞きたい 白鳥河原
 
  木曽の義仲 この地に立ちて
  武士(もののふ)募(つの)りし 由緒の地
  昔ながらの 街道宿場
  馬のつなぎに 洗い場とどめ

  あゝ 来る人の 旅の心をなごませる
  あゝ 住む人の 皆のふるさと 海野宿

  あゝ 永久(とこしえ)に 皆のふるさと 海野宿

祢 津 小 唄

                       掛 山 昌 生 作詞
                       兎 束 武 雄 作曲
 一、庭にアルプス 浅間の煙
     千曲そよ風 千曲そよ風 生乳の里
     ホンニ ホンニ 良いとこ 祢津の里
 
 二、かおる若葉に 豊かな心
     割って見せたや 割って見せたや かしぐるみ
     ホンニ ホンニ よいとこ 祢津の里

 三、まわり舞台の あのはれ姿
     見せてやりたや 見せてやりたや 男前
     ホンニ ホンニ よいとこ 祢津の里

 四、スキー湯の丸 キャンプの窓辺
     ともす胸の灯 ともす胸の灯 夢を呼ぶ 
     ホンニ ホンニ よいとこ 祢津の里

 五、南斜面に 理想のとのご
     今日もくりこむ 今日もくりこむ 嫁ごりょう
     ホンニ ホンニ よいとこ 祢津の里

 六、お姫 大日 ぎおんに七社
     影もよりそう 影もよりそう 宵まつり
     ホンニ ホンニ よいとこ 祢津の里

 祢津小唄の作詞者の掛山さんは元役場職員で、作曲者の兎束さんは松尾高校(現上田高校)の先生で、執筆者も高校の一年生の時、音楽授業の担任であった。

大石よいとこ日本一

 一、力士雷電 大石の生れ
     はり手 かんぬき 封じられ
    天下無敵の 大力士
     ほんに雷電 日本一  ほんに雷電 日本一

 二、大石 石どこ七ツ石
     鬼石 立石 力石
    ゆるがぬ石こそ おらが意気
     ほんに 男の胸に湧く ほんに石なら 日本一

 三、おさななじみの 観音の
     しだれ桜に 願かけて
    かなわぬことなき よい仏
     ほんに女の光あり ほんにごりやく 日本一

 四、ルート十八 東京へ
     昔と今は 変れども
    変らぬものは 一里塚
     ほんに東部の発展地 ほんに大石 日本一

八 重 原 小 唄

                      依 田 康 徳 作詞
                      白 倉 四十四 作曲
                      か み たかし 編曲
                      小 杉 真貴子 唄
                      ビクター・オーケストラ
 一、ʅ ハァー
    八重の坂道 登ってみればよ
    八重原よいとこ おいらが村よ
    西にアルプス 東に浅間
    水は蓼科 水は蓼科 雲井の泉

 二、ʅ ハァー
    とけて流れて 来た此の水はよ
    八重原田圃が 青田に変わる
    実る稲穂に 黄金がさがる
    村の若衆の 村の若衆の 心意気

 三、ʅ ハァー
    そよぐそよ風 身にあびながらよ
    はげむ乙女の たのもしさ
    桑をつみつみ 流れる唄は
    おらが名物 おらが名物 八重原小唄

 四、ʅ ハァー
    おらが自慢の お米の山はよ
    国を育てる 御国の宝
    老いも若きも ひとつになって
    唄えおどれよ 唄えおどれよ 八重原小唄

八 重 原 音 頭

                      荒 井 光之助 作詞
                      白 倉 四十四 作曲
                      か み たかし 編曲
                      鈴 木 正 夫 唄
                      西田 和枝社中 おはやし
                      ビクター・オーケストラ
 一、ʅ ハァー
    みんなそろって 蓼科山へ (ア ソレ)
    五穀実らす 水引きに (ハ ヨイショ)
    持たせやりたや ソレ みのと笠

 二、ʅ ハァー
    西の小峰に 夕日が赤い (ア ソレ)
    広い青田に 風そよぐ (ハ ヨイショ)
    うちわ片手に ソレ 夕涼み

 三、ʅ ハァー
    月はまんまる 人輪もまるく (ア ソレ)
    盆の踊りに 夜をふかせ (ハ ヨイショ)
    みんな一緒に ソレ 手を打って

 四、ʅ ハァー
    娘十八 嫁入りざかり (ア ソレ)
    話はずめば 雪つもる(ハ ヨイショ)
    家のこたつで ソレ 笑い声

島 川 原 小 唄

                      瀬 川 登 吉 作詞
                      小 山 敬 三 作曲
                      山 中  博  編曲
                      船 橋 一 郎 唄
                      西田 和枝社中 おはやし
                      ビクター・オーケストラ
 一、黄金花咲く 都路よりも ドッコイショ
   私しゃ白金 まゆの国
    エートコ信濃の 島川原
    ア ヨッテケヨッテケ ヨィヤサノサ

 二、南斜面 北に浅間 ドッコイショ
   合を流れる 千曲川
    エートコ信濃の 島川原
    ア ヨッテケヨッテケ ヨィヤサノサ

 三、桜一本 天白さまに ドッコイショ
   花は武士道 木は宝
    エートコ信濃の 島川原
    ア ヨッテケヨッテケ ヨィヤサノサ

 四、牛が布引く 観音さまへ ドッコイショ
   主と電車で ゆれて行く
    エートコ信濃の 島川原
    ア ヨッテケヨッテケ ヨィヤサノサ

 五、夜の大空 あかあか照らす ドッコイショ
   わしが自慢の 発電所
    エートコ信濃の 島川原
    ア ヨッテケヨッテケ ヨィヤサノサ 

玉 の 井 小 唄

                      池 田 弥 生 作詞
                      笠 原 敬 三 作曲
                      山 中  博  編曲
                      岡   ゆう子 唄
                      西田 和枝社中 おはやし
                      ビクター・オーケストラ 
 一、里の乙女が 朝夕汲んで アチャセ
   肌を磨くか 玉清水
    ヤーレコラサノ アチャサノセ
    マー ソウカッチャ
 
 二、岩に縋って 花房々と アチャセ
   藤がのぞいた 亀ケ淵
    ヤーレコラサノ アチャサノセ
    マー ソウカッチャ

 三、玉の清水の 流れはつきぬ アチャセ
   つきぬ流の 鹿曲川
    ヤーレコラサノ アチャサノセ
    マー ソウカッチャ

 四、架けた架けたよ 玉の井橋を アチャセ
   虹の浮橋 架けたよう
    ヤーレコラサノ アチャサノセ
    マー ソウカッチャ

とうぶまち 音 頭

                        西 沢  爽  作詞
                        市 川 昭 介 作曲
                        都   はるみ 唄
 一、ハア
    花の湯の丸 百体観音
    恋の ふたりの 道しるべ
    とうぶ なつかし 人波招く
    れんげつつじの
     ナア ソレソレ やさ姿…やさ姿

 二、ハア
    とうぶ娘は 林檎の花よ
    あすは どなたに 頬染める
    噛めば 身にしむ 人情の味は
    実る葡萄の
     ナア ソレソレ ひとしずく…ひとしずく

 三、ハア
    町の栄は 雷電関の
    晴れの 土俵の 大たぶさ
    とうぶ 育ちは 山浦鍛冶よ
    打てば鋼の
     ナア ソレソレ 音がする…音がする

 四、ハア
    昔偲べば 北国街道
    海野 格子の 宿場町
    烏帽子 見返りゃ むかしも今も
    うしろ髪ひく
     ナア ソレソレ 旅ごころ…旅ごころ

 五、ハア
    千曲ひとすじ 繁盛は十色
    住めば 優しい 街あかり
    歌い 囃せよ ふるさとづくり
    ならぶ笑顔を
     ナア ソレソレ 輪つなぎに…輪つなぎに   

 昭和58年、当時の佐藤良男町長は歌手なら「都はるみ」が良いということになり、それなら市川昭介先生しかいないと、当時商工観光課商工係長柳沢仁美さんと一緒に市川先生の事務所へ行ったら、作詞は西沢爽先生にお願いしたいということになり、西沢先生を東部町に、お呼びし町内の名所旧跡を案内して作製されました。
 同年5月12日に開催した制作委員会で決定され、同月22日にコロンビアのスタジオを借りて、歌手都はるみさんに歌ってレコーディングが行われました。
 踊りの振り付けは、西川小扇柳(田中)さんに御願いして、補助員の高寺房子さんらの協力を得て各地域で普及をし、7月8日に町体育館で、町内御婦人の皆さま約200人に踊っていただき、歌手「都はるみ」を迎えて発表会が開催されました。
 前座には信州戸倉出身の青空千夜・一夜さんが漫才を行った。暑いと言って上半身裸でとびまわっていました。
 またのど自慢大会(出場者15人)も計画されました。

Jumping TOHBU ジャンピング トウブ

                        喜多条  忠  作詞
                        小 林 亜 聖 作曲
                        有 沢 孝 紀 編曲
                        高 橋 香代子 唄
                        三 浦  亨  振付
 太陽に向うマーチ
   太陽に挑むマーチ
  あふれる緑 東部町
   明日にはばたく ジャンピング・タウン
   若い力の ジャンピング・タウン
    ゆれる白樺 風の町

  古い宿場町 千曲の流れ
   豊かな実りと ほほえみと
   生きているって すごいね
    辛いことがあっても
    涙は いつかは乾くさ
   人の心が ふれあう 優しい街さ

  太陽に向うマーチ
   太陽に挑むマーチ
  夢に向かって飛び発て
   若い力の ジャンピング・タウン
   ホップ ステップ ジャンピング・トウブ

 太陽に向うマーチ
   太陽に挑むマーチ
  あふれる緑 東部町
   明日にはばたく ジャンピング・タウン 
   真赤なサルビヤ もえる町

  西の観音様 千曲の流れ
   のどかな 鳥の声
   遥かなアルプス 
   生きているって すごいね
    時の流れに 負けずに
    皆が力を 合わせて
   築く確かな幸せ ジャンピング・トウブ

  太陽に向うマーチ
   太陽に挑むマーチ
  夢に向かって飛び発て
   ホップ ステップ ジャンピング・トウブ

 昭和63年に、もっと皆が気軽に踊れる唄を作ろうということになり、
 7月23日の田中祇園祭に発表会を行う。

東 部 町 小 唄

                        柳 沢 一 雄 作詞
  ʅハァー 唄と踊りは ヨイサ 東部町小唄 ヨイトサッサ
   町の皆んなが 寄って 揃って 踊ろおよ
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 北に烏帽子 ヨイサ 東に浅間 ヨイトサッサ
   西にアルプス 流れる川は 千曲川
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 地蔵峠の ヨイサ 湯の丸登りや ヨイトサッサ
   夏はつつじで 冬はスキーの 観光地
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 南斜面の ヨイサ とうぶの町へ ヨイトサッサ
   とても良いとこ お嫁においで 娘さん
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 東部町には ヨイサ 海野の宿 ヨイトサッサ
   昔のままの 家並みを 残す海野宿
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 力士雷電 ヨイサ 日本一だよ ヨイトサッサ
   その強い業 ならぶ者ない 今もなお
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 刀は正雄 ヨイサ その子 兼虎 ヨイトサッサ
   そして清麻 刀を鍛え 日本一
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  ʅハァー 丸山晩霞 ヨイサ 弟子の清風 ヨイトサッサ
   美しい絵を 今に残した 素晴らしさ
   サテ ヨイトサノコラサノ ドッコイサノサア コリヤヨイトコラア
     ドッコイサ ヨイトサノコラサノサ――――

  平成6年6月に、柳沢美術(滋野)の柳沢一雄さんが作詞した。

滋 野 の 四 季

                           作詞 いずみ じゅん
                           作曲 野村  早智子
 一、春(教育環境)
  十八号線の 道沿いの 
  滋野学校 花盛り
  さくら心の 清き子ら
  学び一筋 育ちゆく
 二、夏(山・川)
  れんげつつじの 花散りて
  池の平に あやめ咲く
  はやをつけ場で 焼く香り
  千曲川原の 夏景色
 三、秋(産業)
  秋の彼岸の 陽は晴れて
  観光客の ぶどう狩り
  甘きに満ちて 親心
  みやげに つるす重い箱
 四、冬(山)
  三方ケ峰に 雪映えて
  工業団地に 音響き
  高速道路は 車列
  滋野豊に 栄えゆく
  滋野豊に 栄えゆく

滋 野 巡 り

                            作詞 赤岩在住の人(故人)
                            作曲 鉄道唱歌と同じ
  赤岩前に   布引きの
  岩をも瀑す  千曲川
  滋野芝生田  草萌えて
  朝日に輝く  東漸寺 
  片羽八幡宮  古く
  清水は清き  桜井に
  空に聳える  大木に 
  昔を語る   中屋敷
  名も雷電の  大石や
  別府紺屋の  染め絞り
  原口響く   大滝や
  若葉の陰で  玉と散る
  井子や糠地は 山住まい
  天地写る   浅間山
  滋野滋野   里里に
  今日も平和の 唄を聞く

滋 野 の 里

                          作詞 清水 菊村(純一)
                          作曲 多 梅雅(鉄道唱歌) 
 一、赤岩
  布引前の 赤岩の
   山浦刀匠館跡
    下を流るる 千曲川
     豊かに 鮎を 育てゆく
 二、片羽
  片羽八幡宮 伏して 
   清き泉の 湧き出る
    明治の天皇の 御前水
     源泉懇懇 流れゆく
 三、中屋敷
  けやき大木 そびえたつ
   熊野の社 中屋敷
    巨峰ぶどうの 風香る
     団地広々 立つマスト
 四、大石
  天下無双の 雷電を  
   象山 讃えし 大石碑
    大石湯ノ丸 真っすぐに
     西沢川に 舞う蛍
 五、桜井
  鎮守の宮の 彫刻や
   人に教えし 名画伯
    文化の香り さきがけて
     拓きし里よ 桜井は
 六、別府
  苔むす 石祠
   別府古城の 屋敷跡
    村の家々 水湧いて
     生活文化の 豊さよ
 七、原口
  縄文文化は 原口の
   戌立遺跡の かまどあと
    蕎麦の 白花 香る徑
     弁天池へと 続くなり
 八、聖
  ハート型なる 道順を
   巡る聖は 花の里
    廃れし 出湯の 河原跡
     土に 湯花なの 香が残る
 九、乙女平
  乙女平の 陽の光り 
   大遠見の 言の葉 そのままに
    ひろき眺めの 西東
     清き 乙女が 育ちゆく
 十、王子平
  王子平の 昼さがり
   北国街道 旅長し
    巡礼観音 ひれ伏せば
     松の木陰の 風涼し